左官の後継者問題
戦後、民主主義が導入され、徒弟制度が存続できなくなった。
日本の職人は徒弟制度で育てられたのである。
弊社の例では、昭和40年ごろまではかろうじて徒弟制度が残っており、父の最期の弟子が昭和24年生まれの57歳になる。
中学校、早くは小学校を出て直ぐに弟子入りをして、親方の下で技能習得、人間修行に励み技能を身につけたのである。しかし、高校全入時代を迎え、かろうじて残っていた徒弟制度は完全になくなってしまった。
技能を伝承するには、色気の付く前に教えるのが一番であると伝えられてきた。技能を教え込むには早いほど良いのである。
設計図書から左官の塗り壁がなくされた理由は、戦後の建築施工の近代化の流れの中で新しい建材が次々と海外から導入され、国内でも開発されて一気に加速した。
第二次建築ブーム昭和36年から39年とともに工事量は急速に増加し、現場作業のプレハブ化と機械化が進んだ。
集合住宅では昭和36年ごろより大型プレキャストコンクリートパネル工法が実施に移された。
RC造では昭和50年前後に一気にモルタル塗りから、コンクリート打ち放しの乾式工法に変化しモルタル塗りは消滅した。
木造在来構法では、壁は乾式化により、木舞下地、衣摺下地、プラスターボードに変わり、土壁から、石膏プラスター、合板に変わり、仕上げは漆喰から、ビニールクロスに変わって左官の塗り壁はなくなったのである。
設計図書から、塗り壁がなくされても左官技能者は必要とされ続けてきた。しかし建築に占める割合は10数%からわずか2%位にまで減少余儀なくされてきたのである。
設計図書どおり施工するのだが建築は完成せず、左官技能者がその完成しない場所を完成させる為に鏝を持って仕事をしているのである。
現在の野丁場の左官工事は、左官本来の塗り壁、モルタル塗り、プラスター塗り、漆喰塗りは皆無に近い状況にある。
今、左官技能者の育成に困難をきたしているのは左官技能を覚える、習得させるための塗り壁が設計図書にない事である。
左官技能は学校では習得する事は不可能である。実際に現場で生きた壁を塗らせる以外に後継者に技能を習得させる事は出来ない。
後継者育成の為の仕上げの左官の塗り壁、左官技能継承壁を設計図書にお願いをしたいものである。
又、左官業界がロハスの時代を迎え、関心の高まっている日本の住文化、土壁、漆喰壁、本物の珪藻土壁の普及に全力で取り組み自ら左官の仕事をつくりだしていくことである。