昔の家

「誰のために、何のために、建築をつくるのか。ここでその原点を問い直さないと
これからの建築は社会に組み込まれない」
と著名な設計家伊東豊雄氏は語る
「作品のため」から「社会のため」へ
この2年間に伊東豊雄氏が東日本大震災被災地に足を運んだ日数は、延べ60日に上る
震災復興に貢献したいという思いと、旧態依然とした建築界に意識改革を促す好機と捉えているからである
伊東氏が重視するのは個々の建築の形ではなく、住民にとって最適な街を再建する為のプロセスづくりだ
「住民と対話しながら進めるプロセス」の意義に気付いて以来、建築界が近代主義から目覚めるよう訴えてきた
「建築家自身ができること」を、社会に伝えていくのと同時に、建築家自身が社会との関係を問い直す
その取り組みの一つが、被災地に建てた
「みんなの家」だ
主に応急仮設住宅の敷地内に、住民が集まり、暮らしを楽しめるような場を提供しようというものだ
すべてボランティアで取り組むものだ
これまでに6件完成した
その一つ「宮城野みんなの家」は住民からとても喜ばれてる
平凡な切妻屋根の下に、薪ストーブを置いた土間があるくらいでどういうことも無い建築である
「縁側が欲しいね」、「庇がないと」困るなといった仮設住宅に住む人たちの声を素直に反映した結果だ
また被災地を含めて地方に行くと、誰もが口々に「昔の家が良かった」と言う
改めて見直せば
あれは近代以前の日本の民家の縮小版で、昔の暮らし方がある
それが住民にとても喜ばれた
建築をつくるとは、自然環境の中に、自然から切り取られた特別な場所をつくる、つまり内外を切り分ける行為にほかならないそして
完結性や自立性の高い近代主義的な建築はややもすると建築の秩序に人を従わせる事になった
伊東氏は言う
僕は建築家として何かもっと自然に開かれた自然に開かれた、屋内も間仕切りの少ない自由度の高い建築を作りたいと考えてきた
しかしそれでも外の環境に対して閉じてしまっていたと、今は思う
そのほうが空調や温度など屋内環境も管理しやすい
近代はこのように効率を優先する事で、都市も建築も発展を遂げてきた
ただ人間の生活はそんな単純なものではないのだ
僕らは都市を前提に閉じた建築をつくってきたがもっともっと開けるべきと思う
開かれた建築とはいわば「昔の日本の家」だ
縁側があって、南向きの部屋と北向きの部屋があって、季節や時間に応じて人間の方が動いて使い分けていた
それがいまや2DK、3DKなどの規格的な住宅となり、人々は一年中同じ部屋で寝て同じ部屋で食べている
もっと家を開き、従来の日本人の生活に近づくことで日本型の省エネルギーが可能かもしれない
ただ昔に戻るのではなく、環境に開かれた暮らしをコンピュウター技術のサポートによって実現する事ができると思う
海と向かい合って生きてきた人々の生活を、近代主義思想によって抹殺してはならない
近代建築から、効率性、合理性、に欠ける、左官の塗壁「土壁、漆喰」は抹殺されてきた
「昔の日本の家」は素材はすべて自然素材でできていて壁は土壁であり、日本の夏の気候特有
高い湿気を吸収、空調機器を使用せずとも快適湿度「40~70%」を保持する家であった
伊東氏の「昔の家」には残念ながら土壁は無いようである
また
安藤忠雄氏が香川県直島町で築100年以上の古民家を改築し美術館を作った
外観は残したまま、屋内にコンクリート打ちっ放しの空間を設けたという
古民家であれば、土壁はあったはずだが
見た目は古民家でも室内の湿気をどうするつもりなのだろうか
安藤氏には昔の日本の家の素晴らしさが分かっていないようだ
(株)根子左は住む人の健康と幸せと喜びと夢と豊かな住生活の実現の為に
伝統的な土壁の機能を持つ漆喰珪藻土壁の普及と、技能の研磨に取り組んできた
伊東氏の建築には左官の塗壁が無いようだが是非漆喰珪藻土壁を採用して欲しいものだ
それでこそ「昔の日本の家」といえるのでは
伊東氏の求める建築が人々にとってさらに大きな感動と喜びを与えられる建築になる事を望みたい
居住空間は住む人、生活する人、働くひとがイキイキと健康で、過ごせる場所であるべきと願う