誇り

援助交際、ジベタリアン、フリーター等、最近耳慣れない日本語がマスコミなどで使用されております。
最初耳にした時は意味が分かりませんでしたが意味が分かって、日本人として、悲しくなり、恥ずかしく思ったのを覚えております。
そして憤りを覚えたのはマスコミが伝える、高校生達のこれらの言葉に対するアンケートの結果でした。
 半数以上の高校生がこれに対して肯定的な意見を持っていいるとの事でありました。援助交際、日本語として響きの良い言葉です。しかし言葉を変えれば、売春であるのです。
「やるのは自分の自由でしょう」「友達がやっていても注意はしない、本人の自由でしょう」ここに有るのは何をしても自由であるという、自由の意味を履き違えて覚えている子供たちの姿であろうと思うのであります。
 いつから私たちは、自分の言動に対して、大人も含めて恥とか、恥ずかしいと思う気持ちが少なくなってきたのでしょうか。
平気で嘘をつく人も多くなりました。
 武士は、武士に二言はないといい、潔く腹を切り、死を持って自分の名誉を守ったものでありました。
 日本人の心の中にはその武士の心、精神が、武士以外の日本人にも受け継がれてきたのではないでしょうか。
その精神が私たちの誇りでも有ったと思うのであります。
 私たち大人が先ず日本人として自分の国の文化を大切にし、自分にたいして、誇りを持った生き方をしていく事が大切であると思う。