自然と建築

建築家窪田勝文氏が自然と建築について述べている。
「自然と言うのは、実は人間にとって脅威の部分もある・・・
建築物が自然の脅威から人間を守る事で、人間も安心して
防御フィルターを一枚一枚外していけると思う。そうする事で自然が
人間の側にスーっとしみこんで行く」
シベリヤの寒さ、エジプト、インドの暑さ、ヒマラヤの空気の薄さ
地球には人間にとって過酷な自然がある。
日本で言えば夏の熱帯夜の不快指数がある。
「人生は大半の時間を、われわれは建物の中で過ごすわけですから、どんな
建物、どんな空間に身を置くかというのは一生涯にわたってじわじわと
影響を及ぼしていくものです。仮に醜悪な建築物を建てたとしますと、それが
長い年月にわたって人に及ぼしていく影響と言うのは、何か恐ろしい感じがします。」
醜悪な建築も問題だが、劣悪な居住空間の建築の作る室内空気汚染も問題である。
日本の家は自然素材「木・土・草」職人の技でつくりあげてきた。
それは日本の気候風土に適合した住む人を過酷な自然から守れる家でもあった。
日本の家は職人の長い年月を経て培われてきた知恵と技の結晶であったのである。
明治の頃、日本に来た外国人が驚いたのは日本の職人の素晴らしい技能の作品群であった。
「日本人は日常使う什器から家に至るまで芸術作品の中で暮らしている」と驚嘆と感動で書き残している。
江戸時代の名も無き職人の技能はヨーロッパ人を感動させれるのほどの芸術の域に達していたのである。
感動は深い技能を見る、またその作品を見、扱う事から生まれてくるものである。
技能作品は年月を経るほど、使い込むほど深みと味わいを生み出して更なる感動を与えてくれる。
技能は習得に長い年月を要し、極めても、極めても極め切れ無いのが技能の難しさであり、面白いところでり、感動がある。
現代の建築に多く使用されている鉄とガラスとコンクリート打ち放し仕上げ、新建材の作品に人々に長い年月に渡って人々に感動を与えられる力があるとは思えない。
伝統的職人の技能を徹底して排除してきたのが現代建築ではないだろうか。
若者が建設業界に入ってこないと言う。
作り出す作品に感動の無い業界に若者が入ってくるはずも無い。