徒弟制度
徒弟制度は 日本では年季奉公、親方制度とも呼ばれ、江戸時代以降手工業や商業だけでなく、
芸術や、落語などの伝統芸能分野においても親方に指導されて訓練を積み重ねる
学習制度として広く行われていた
徒弟は親方方から衣食住は保証されるが、賃金を貰えず、若干の小遣い銭を与えられた
徒弟は親方の家に住み込み職業技術を習得する代わりに拭き掃除等の雑用をした
職業によって年季の期間は違うが左官は通常五年間であり、年季を終えた後
仕事を習得したお礼として、職人より、低い賃金で一年間の礼奉公をした
礼奉公を終えてはれて職人の仲間入り、独立も自由であった
年季期間中は弟子は賃金を貰えぬため、非常にハングリーであった
早く技能を覚えて職人のような生活をしたいと、必死に技能取得に励んだものである
年季5年礼奉公1年の6年間のハングーリーと親方への感謝が高度の熟練技能を育み
日本の職人文化の花を咲かせたと思う
明治期に日本を訪れた外国人が日本の庶民が使う日用品、居住空間は芸術品であると讃えている
帰国の時は争うように日用品を購入して帰ったといわれる
日本の職人の技の結晶に彼らは感動したのである
日本では昭和34年最低賃金法が成立し、徒弟制度がなりたたなくなった
しかし左官業界では昭和45年頃まで徒弟制度が残っていた
小生も昭和42年に左官になったのだが、親方の父から貰ったのは月一万円であった
これはまだ多いほうで、五年先輩の兄弟子はつき1000円だったそうである
徒弟制度であれば、五年間は賃金を支給しないので親方、個人でも職人を養成できた
又請負制度が機能していて、職人はサラリーマンより稼げたので
沢山の若者が建設業に入り職人になった
職人はフレックスタイムで自分の時間で仕事をし、腕の良い職人は遅く来て、早く帰ったものである
現在の最低賃金法のもとでは他産業に劣らぬ賃金を支給するので企業でないと養成は
不可能であろう
この徒弟制度で育った高い技能を持った職人の年齢が60歳を超えてドンドン、リタイヤしているのが
左官業界である。
若者に技能習得期間の長い職種、左官、大工などは嫌われて殆ど入職しない
入ってもすぐに辞めてしまう
このままでは優秀な技能を持つ職人はいなくなってしまうことでしょう
親方制度、年季奉公という日本の職人養成システムの崩壊して40年以上経過しているに
行政は代わりのシステムをつくることをしなかった
職人を養成しろと言われても専門工事業者だけの努力では無理があるのでは
若者の建設業への入職が激減している
建設業界には全く危機感が無いのが不思議である