徒弟制度

徒弟制度という職人を育てるしくみがあった
学校を出て、住み込みで5年間年季奉公をした後、一年間の礼奉公をして
一人前の職人として認められる制度であった
その間の衣食住は無料だが給料は貰えず、小遣い程度であった
親方、兄弟子の言うことは絶対服従であり、言い訳無用の世界であったと聞く
この間のハングリー精神が高度の技能を継承する力になったと思うのである
大正2年生まれの亡き父は小学校卒業後、13歳で左官になった
父には11人の弟子を取り、職人に育てた
ちなみに私は9番目の弟子にあたる。昭和42年の事である
最後の弟子は昭和43年で2人同時に入ったが中途で逃げ出し他所で修行した
弟子のうち、会社に残った2人が創業時から会社を支え
現在69歳だが元気で頑張っている
父は技能習得は色気の付く前に仕込むしかない
色気が付いたんでは、良い職人にならないもんだとしみじみ言っていたものだ
現代は大学進学率が高い、技能工養成はますますハードルが高くなっている
徒弟制度の職人は左官では昭和43年頃入職が最後の世代と思う
現在、60歳前後である
徒弟制度で養成された左官職人が現在の左官の技能を支えている
昭和40年代は高度成長時代であり、職人よりサラーリーマンが人気のある時代で
特に技能習得期間の長い左官は3K、汚い、きつい、危険の代表のように言われ
入職者は少なかった
又「15の春を泣かせない」のスローガンで高校全入への流れが昭和35年から
始まり、高校進学率が高まり、優秀な中卒がいなくなった
そして最低賃金制度が昭和40年代半ばから確立され
小遣いで雇えた徒弟制度はなくなり、見習いも日給幾らの賃金制度になった
このため職人養成の費用がかかるようになった
弊社では昭和48年頃から職安に募集を出したが
高卒は先ず無理といわれ、やむを得ず中卒にしたがでも応募は少なかった
高卒に切り替えたのが平成8年であった
現在までに新卒 98人採用して、退職者72人、殆どが1ヶ月以内に辞めた
一人前の職人になった者が24人(弊社を離れたもの5人)、研修生7人いる
左官は3年ぐらいは、職人の下働き、手元ぐらいしか出来ない
徒弟制度であれば6年間は小遣いであり、養成費用はそんなに掛からない
職人が弟子を取って親方になり弟子を養成したものだ
今は他産業との競争もあり、それなりの賃金で募集しないと応募は無い
現代は職人、親方では募集も養成も不可能であり
ある程度の企業で無ければ募集、養成できない時代である
しかし、企業でも左官技能者を養成するのは養成費用、その他で困難を極める
徒弟制度が無い現在、伝統的な大工、左官等のような
技能習得期間が5年以上の長い期間の掛かる職種は特に養成は難しい
このように伝統技能工養成は専門工事業者だけでは難しい問題であると思う
ましては現在の設計図書には左官の塗り壁はない
有ったとしてもコスト重視、工期無しで雀の涙ほどの塗り壁が現場から無くされている
塗り壁が無い事には左官の技能を教える事はできない
コンクリート打ち放し仕上げの下地調整では本来の左官技能は教えようが無いのだ
他職には無い難しい左官の問題点である
戦後日本の良き伝統が多く無くされて来たが徒弟制度もその一つであろう