小説「宮本武蔵」等で高名な吉川英治氏は子供時代の貧しかった生活を振り返って
大きくなったら卵一個を使った卵ご飯を食べたいのが夢だったと語っています。
 貧しかった吉川氏の子供時代、卵は貴重品でなかなか口に入らなかった。
母がたまに買ってくる卵は一個、一個の卵を4等分して兄弟4人で食べた卵ご飯はなんと美味しかったことかと吉川氏は語る。その姿を眺める母は多分卵は口にしなかったであろうと。
 卵一個を一人で食べられないほど貧しくは無かったが、私の故郷、岩手県の子供時代の暮らしは豊かな方では無かったと思う。
 水は水道はなく、井戸から棒の先に付いた木の桶で水を汲んで風呂を一杯にするのが小学生の私の役割だった。夏はまだしも冬の水汲みは大変なものだった。
 肉などは口に入るのは年に数回、それも豚のこま切れである。それで姉がつくったカレーライスの美味しかったこと。
 カレーの匂いが漂ってくるとなんともいえない幸福感を味わったものである。
4人の子が授かった時、どうやって貧しさを体験させることが出来るかを考えた。
 ささやかのことだが、その一つに、レストランの食事は子供の誕生日だけにした。
幸い4人いるから年4回は行くことになる。
 おもちゃを買うのも、誕生日と、クリスマスのみにしたなどである。
子供たちが大きくなって、友達の家に比べて家は貧乏なんだと思っていたと聞いて、この暖衣飽食時代に貧乏の味を少しは味あわさせることが出来たのかと思ったものである。