無差別空襲

今度の戦争末期、米軍ルメイ少将の指揮で、東京大空襲始め、我が故郷、花巻市他日本の都市100以上が無差別空襲を受けた。

1945年7月25日、大分県津久見市の東部、豊後水道に浮かぶ、保土島の保土島国民学校が授業中の10時に襲撃受け、機銃掃射までされ、125人の子供、2人の教師が犠牲になったのは寡聞にして知らなかった。

今回日経のコラム「春秋」で知った。

作者は語る、米軍の攻撃は無差別攻撃の声があるし、それぞれに日本の街がむごい悲劇を記憶していると。

また、日本軍が無辜の人々に与えた惨禍もまた辛い記憶となって伝えられているのだろうというくだりは、言外に日本軍を貶めるような文であり賛成できない。

日本軍が戦ったのは300年以上わたって、東南アジアを植民地として収奪を重ね、それこそ無辜のアジアの人々を奴隷のように支配してきた、白人国家であったと思う。