技能の危機
戦後70年、新聞紙上に今度の戦争について多くの記事が載っており
今度の戦争の悲惨さ、悲劇も多く掲載されている
その一つにソ連の捕虜虐待がある
昭和20年午前0時日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連軍80個師団157万人が
満州や朝鮮、千島列島などに一斉侵攻した
日本軍の多くはポツダム宣言を受諾後、武装解除に応じたが
その後、悲劇が起きたのである
ソ連軍はポツダム宣言を無視して、満州や、朝鮮などから約57万5千人をシベリヤや。モンゴルなどに連行し
森林伐採や鉄道施設等の受労働を強いた
食事は雀の涙ほどで、飢えと寒さ(マイナス50度にもなる)、虐待などで5万5千人が命を落とした
アメリカの研究者ウイリアム・ソンモ著「検証―シベリヤ抑留」によれば終戦後
シベリヤや、ソ連各地に送られ強制労働させられた日本人は軍民約107万人
確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千人で事実上
約34万人の日本人が死亡している
ロシアのコムソモリスクには日本人1万5千人が抑留された
満足な食事も与えられぬ中、日本人は良く働き、ホテル、学校、住宅など432の建物を建築した
町の中心部のホテル「アムール」は内部こそ改装されたが今なお現役。
日本人が建てた集合住宅群に住む人は語る
この通りの家は全て日本人が建てたと両親から聞いた
古くはなったが,造りが大変しっかりしており、改修なしで住み続けています
地元郷土史家は語る「当時を知っている人は、いかに日本人が仕事熱心だったか知っている
悪く言う人はいないと
70年たってもびくともしない建築を造った日本人の技術の確かさ
勤勉さは国境を越えて人の胸を打つものがあるようだ
今、外国を驚嘆させてきた、その建築技能の子孫が日本から消え去るかもしれない瀬戸際にある
高齢化が著しく、若者が入って来ないのだ
ゼネコンは今、最高益を上げているようである
若手人材確保のための政策の一環、保険未加入対策は
導入すれば倒産するというゼネコンもあり、他社の動きを見てから決めようと
ゼネコンの動きが悪いのが残念である
問題は仮に今若者が入ってきても、養成はどうするのだろうか
職人のリタイヤは一瞬、技能の養成は5年、10年掛かるのである