便利な社会

「「水道哲学」は昭和7年松下幸之助が社員に示した「企業の使命」である

「産業人の使命は貧乏の克服である。そのために物資の生産につぐ生産をもって

富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない

それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく

物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである。」

とする考えである

これはある時期には正しかった。ですがいつの時代にも通用する哲学ではないと

尊敬する伊那食品工業(株)社長塚越寛氏は述べる

セブン-イレブンの鈴木敏文会長は

「セブンは何が便利だろうかという追求をずっと続けてきた」

と述べる

今や主力商品になった弁当やおにぎりは、最初は一日2~3個しか売れなかった

弁当を持たずに外でご飯を食べる人が増えてきた頃、やがて売れるようになるはずだと続けてきて今がある。

便利さは確かに魅力あるし、楽なことを人は好む

家庭の主婦は洗濯機、掃除機、電気炊飯器等で家事の重労働から解放された

しかし、電動鉛筆削り、電動歯ブラシまで必要だったのだろうか

首をひねらざるを得ない

洗濯、掃除、御飯炊きは重労働だが、楽しみもあったと思う

弁当、おにぎりはかっては母親、妻、姉、恋人がつくってくれた

たいしたおかずではなかったが感謝して美味しく食べたものだった

お金でなんでも簡単に買える時代になって

いき過ぎた便利さは感謝を知らない、感謝を忘れた、怠け者の人々をつくっているのでは無いかと思う