乾式社会に思う


雑誌「致知」誌上で作家の五木寛之氏が稲盛和夫氏との対談の中で「中央公論」に掲載された東大の建築工学の鈴木博之さんの論文の一部「戦後の日本の建築工学の発展は「湿式工法」から「乾式工法」への大転換にあった」を紹介しています。

さらに五木氏、は昔は家を建てる時にはセメント、砂利、砂を水で捏ねてモルタルを作ったり、壁土、漆喰を作る時に多量の水を使用して家を建てていた。それが50年の間に壁土を使わずビニールクロスの壁紙になり、さらにアルミサッシ、プラスチック、軽合金、ガラス等を使い、一滴の水を使わずに家が建つようになってしまった。

この乾式工法は、建築だけではなく、教育も、医療にも、あらゆる分野に当てはまるのではないか、今の社会全体が乾式社会になってしまった。水分を含んでいるものは重いけれども、乾いたものは軽い。だから乾式の社会は軽い社会であって、その中で心が乾けば命が軽くなり、自分の命を放り出したり、他人の命を奪うような社会になってしまったと語り、乾いた社会にオアシスの水を注ぎ、日本人の乾ききった心に、井戸を掘って水分を含んだみずみずしい心を取り戻す必要があると語っています。

五木氏の指摘を受けるまでも無く、日本の居住環境から歴史と伝統ある土壁、漆喰壁が大きく消え始めたのは僅か30年前、昭和50年前後のことであります。

文化とは、民族の最適な生態系の表現であり、その民族の住んでいる気候風土と密接な関係があります。日本の気候風土は、モンスーン型であり、先進国では日本だけがこの気候です。特徴は、冬温度が低い時に湿度が低く、夏暖かい時に湿度が高い。逆にヨーロッパ型は、寒い時に湿度が高く、暑い夏には湿度が低いのが特徴です。日本の住文化は、暑い夏の高い湿気をいかに防ぐかにあったわけですが、それが高床式で土と木と紙と草の家であったと思うのです。

温度が高く、湿度が高い環境は物も人間も腐る、錆びる環境です、現在の家の環境は湿気を防げない素材で出来ており、使用されている建材の化学物質のガスと高い湿気で劣悪なる環境であると思います。これが、今社会問題となっているシックハウスの原因であると思います。歴史ある伝統的な日本の家にはシックハウス問題は無かったのであります。

建築の乾式、工業化工法の流れの中で、左官の湿式の塗り壁は、コストと工期がかかり、ストックできない工法であるが故に、設計図書から無くされてきました。

野丁場の左官工事に於いても、コンクリート打放仕上げの発達により、壁モルタル塗りから、コンクリート打放仕上げの上に、タイル、塗装、吹き付け、クロス等の各種仕上げをコンクリートに直接施工する工法に変わり、設計図書上は、左官技能者の必要としない建築に変わってしまった。

その結果最盛期30万人を超えていた左官人口は、現在10万人を切り、若い後継者の入職が少なく、高齢化が著しいのが左官業界の現状であります。

日本の左官の技能は、日本刀とサーベルの違いでもあると思います。鍛造で鍛えた鏝で塗り上げられた、日本の城の白壁は室町時代に日本を訪れた宣教師に、驚きと感動を与えたことが知られています。世界に誇れる高い左官技能の職人がまだ残っている今が、伝統ある左官技能を残せる最後の時であると思っている。

現在の左官仕事の多くは、各種仕上げ職種の下地つくりが殆どであります。左官は下地屋ではないのであります。仕上げのプロであるべきなのです。設計図書が、左官技能者を必要としなくても、建築を完成させる為に、左官技能者が必要であることは、設計図書に不備があるか、施工法に問題があるということであると思います。もし左官技能者がいなくなれば、タイル、塗装、吹き付け、クロス等、各種仕上げ工事者は下地を自分で作り、躯体工事の皆さんは自分で躯体の不具合の修正をするしかないのである。

現在、伝統ある漆喰壁の中に、珪藻土をブレンドした塗り壁が、湿気、カビを防止し、生成するマイナスイオンでシックハウスの元凶の化学物質のガスを除去して、健康的な居住環境をもたらし、又、スピード性、コスト面からもリーズナブルな塗り壁材として注目を集めています。テクスチュア、デザイン、パターンも自由で若手技能者の感性が活かせる壁として、又、よりよい居住環境を提供できるという、左官技能者の使命感を満たせる壁として若手技能者に喜びと夢を与えられる塗り壁として知られてきた。

日本社会を覆っている暗い現状、親が子を殺す、子供が親を殺す、弱いものを苛め殺す、これは動物の世界には無いことだと思います。今の日本人は動物以下に成り下がってしまったのでありましょうか。今の日本社会全体を覆っている、乾式社会から潤おいのあるみずみずしい湿式の社会を取り戻すために、又、日本人の身体と心を豊かで健康的なものにするために、居住環境に伝統ある左官の塗り壁の復活が待たれていると思っています。

日本の豊かな未来の為に左官技能者を養成し、左官の塗り壁を復活、普及していきたいものと念願しているこのごろです。