危険予知

先日、某ゼネコンさんの災害防止協議会による研修会がありました。その中で、建設現場における死傷者数の割合が、高齢者だけでなく若年層も高い割合を占めているというお話がありました。

事故を未然に防ぐ為には、危険予知能力を高めることが必要なのですが、環境を整備して事故が起きないようにするということが大切だという内容でした。

私が気になっていることは、危険予知能力を高める為には、それなりの経験、体験が必要になってくるということと、環境の整備にはコスト面や設計面において限界があるということです。

「こうしたら危ない」とか「ここが危険だ」なんてことは、言葉で説明しても全て理解できるものではない訳で、過去にそのような経験、体験、ヒヤリハットがあるからこそ理解できるもの。

また、絶対に事故が起きない環境を整備するとなると、作業足場の設置においても莫大なコストを要する訳です。現場の立地条件が悪いとなれば、そのコストはさらに高騰します。

危険予知に対する感性は、すぐに高めることができるものではなく、生まれてから今に至るまでの時間に少しずつ身に付けていくものであることを考えると、今の子供達が生活する環境は、あまりに「事なかれ」過ぎてしまっていると思います。

転び方を知らない子供は顔面を怪我してしまうと聞きます。両手をつくということができない訳です。「事なかれ」の考え方は、子供達に危険予知の感性を養う妨げとなる訳です。

環境整備だけに頼るのではなく、「自らの身は自らで守る」という意識が必要だと思います。