文化勲章

今年度の文化勲章を受賞した7人の中に建築家の安藤忠雄氏が選ばれている。
心からお喜びを申し上げます。
テレビ、新聞等で安藤氏が受賞のコメントを話している。
「政府から要らないと言われているハコの建築芸術をやっておりますが、要るハコをしっかり造りたい」
安藤氏は東京大学教授として、1998年、東京大学大学院で行った全5回の講義をもとに発行した講義録
「建築を語る」の中で
第5講「命のある箱をつくるために」と
学生に話している
建築を設計している私達や大学の建築学科の人たちにとって、今は強い逆風が吹いていいます。
最近は役人も企業家も、箱をつくる人間を前にして平気で「もう箱はいらない」と言われます。
私も確かに「箱」から脱出したいと思っていますが、これには2つの意味があります。
1つは表現上の「箱]からの脱出という事です。
20世紀初頭ル・コルビュジュ、ミース・ファン・デル・ローエはそれぞれコンクリート、ガラスといった時代に
適した工業的素材を用いた建築表現を追及し、「近代建築」をつくりあげていった。
そのル・コルビジュの安易な模倣の、複製であるコンクリートの単純な箱は今もって世界中に無数に
存在しています。
ミースの本質を把握し損ねたようなガラスの単純な箱も世界中に拡まっています。
私は、そのような表現上の単なる[箱」から脱出したい。
もう1つはやや観念的で「近代」からの脱出という意味です。
近代において建築は合理性を追求するあまり、単なる箱、器をいかに効率よくつくるか、ということに
陥ってしまいました。
しかしこれからは、それが社会の中で「使われていく」事を重視した展望、すなわち竣工後の建物の「あり方」
までも計画に含めるべきではないか、
「命ある」箱づくりをしなければならないのではないか、と思うのです。
箱が要らないという意見の裏側にあるのは、使われない箱はもう要らないという事です。
実際、私達建築に携わる人々はこれまで、使われない箱を気楽に作り過ぎました。
大学では建築というとつくることしか教えない。建築には使うことも大事ですし
それを、守る事も大事です。
長々と引用させたて頂いたが
私は使われていくということは人間が生活する事であり、住む事でもあると思う
そこには人間の心を震えさせる感動、身体を癒してくれる安らぎ、生活する人の健康を守れる機能が必要と思うのである。
使うもの、味わうもの、そこに感動と喜びが無ければ人は使ってくれないと思う
そこには自然の惠みの産物、人類が伝えてきたその民族特有の文化、人間がつくりだす熟練の技の数々が必要であろう。
汗と涙と長い時間が生み出す職人の技が人に震えるような感動と喜びを与えるのである。
コンクリートとガラスと鉄の箱に心が震えるような感動があるとは思えないのだが。
建築にはもう一つの大事な役割があると思う。
職人文化、日本人が大事に継承してきた伝統的な技能の継承・維持である。
大工、左官、建具等の技能は建築の中でしか習得できない。
近代が切り捨ててきた伝統的な建築技能を継承・維持できるような「命ある箱」をお願いしたいものである。